なぜ勝手に「オーガニック」と書けないのか?
無農薬で育てたから『オーガニックコーヒー』って書いていいよね?
実はこれ、法律違反になる可能性があるってご存じですか?
理由①:「有機」「オーガニック」は国が定めた「品質表示基準」に基づく表示だから
- JAS法では、「有機食品の定義と認証条件」を厳格に定めている
- 認証を受けていないものに「有機」や「オーガニック」と表示するのは、「不当表示」=消費者を誤認させる表示にあたるため、違法
理由②:消費者保護のため
- 「有機=安全・健康・高品質」と捉える消費者が多く、それを「悪用した誤表示(グリーンウォッシング)」を防ぐ必要がある
- 国家認証制度として「有機JAS」を設け、それ以外の表示は禁止している
農林水産省の公式見解(要点)
JAS法に違反して表示した場合は、法的措置がとられます。
(出典:農林水産省「有機JAS制度の概要」)
「オーガニック」という言葉自体に商標性はない?
実は「商標」ではなく「法律」で禁止されていて
よく誤解されるのが「オーガニック」って商標だから勝手に使えないんでしょ?という考え方。でも実際は違う
「オーガニック」や「有機」という言葉自体には商標権ないんです
しかし、これらの言葉を「食品など」に使うときは、法律(JAS法)によって使用が厳しく制限されています。
つまり、
「オーガニック」という言葉は自由に使えるけれど、食品表示に使うには国の認証が必要。
というのが正しい理解ということになります🐻
なぜこんなに厳しいの?
理由はシンプルです。
「オーガニック」「有機」と表示されているだけで、多くの人が「体にいい・安心」と信じて買ってしまうから💰
そのため、
国が定めた「有機JAS制度」に沿って
厳しい基準と検査をクリアした商品だけが
有機JASマークとともに「オーガニック」や「有機」と表示できる
というルールになっています。
表示違反をするとどうなる?
有機JASマークなしで「有機」や「オーガニック」と表示すると、法律違反(JAS法違反)として以下のような処分を受ける可能性があります。
- 指導・是正命令
- 業務停止命令
- 6か月以下の懲役または100万円以下の罰金(JAS法第50条)
「自然栽培」や「農薬不使用」は大丈夫?
「有機」や「オーガニック」ではなく、「農薬を使っていません」「自然に育てました」といった表現は一見OKに思えますが、消費者が“オーガニックと誤認する表現”も違反になる可能性があります。
重要なのは「何を伝えるか」より「どう伝わるか」
なので、グリーンウォッシング(環境に優しいように見せかける表現)にならないように注意が必要です
スペシャルティコーヒーとの違いは?
項目 | オーガニックコーヒー | スペシャルティコーヒー |
基準 | 農法(農薬・化学肥料の不使用) | 品質(カップの味、香り、トレーサビリティ) |
評価者 | 国(JAS, USDAなど) | コーヒーのプロ |
表示 | 法律で規定・認証が必要 | 業界団体や品質テストによる |
味の保証 | されない(味が悪くても認証されることも) | 高品質の味が前提条件 |
価格帯 | 中〜やや高め(安定) | 高級志向(ばらつきあり) |
重なり | 一部あり(オーガニック × スペシャルティ) | 一部あり(両方の認証を取る農園も) |
つまり、スペシャルティコーヒー=有機ではない(有機の場合もある)
ということであります
オーガニックは基準が農法なので味が・・・(残念)なこともある
価格帯もやや高めです。
どちらがいいか?
どちらもがいいか?
みなさんはどうですか
まとめ
すごくざっくりした言い方をすると、JAS認証を受けるということにもかなりのコストがかかります。
適切な方法での栽培や管理など施設の定期的な検査、各商品ごとの申請など
かなりのコストと労力がかかる
その対価が、国から認められて「JAS認証」付の商品を販売できる
つまり
オーガニック・有機などの言葉やロゴが使えるんです。
それは、消費者のためでもある。
検査する方もされる方も手間と労力がかかるんだけど、でもそれを通過しないとオーガニック(有機)と言えない
でも、実際はオーガニック(有機)なのに・・・
矛盾を感じますが、でも本当の意味で安心安全を考えると今のままの方がいいのかもしれないとも思います。
もし、コストが安くなりすぎたり、チェックや管理が甘くなると
色々な問題もおきそうですよね🐻
オーガニックという言葉に「信頼」をもたせるためには、それを使う側の責任も問われる。
だからこそ、“本物”を届けたい人ほど、ルールを守ることが大切なんです。
それは裏を返せば、“本物”を受け取りたい人もルールを守ったところから買うことが大切です。
子猫や猫のミルボラやネコボラも同じです。
見る側(受取手)も、職業や見た目じゃなくて何をやり続けているのか?本当にしているのか?口だけで中身が無いんじゃないか?
などいろいろと見極める力も必要です。
認知的不協和を引き起こすような盲目的な信仰は私はネコボラにおいてはマイナスだと思います
それ以外でもね
どこか応援をしつつも第三者の👀をしっかり持って冷静に見続けるコトがこれからの
応援には必要だと私は思います。
この人が言っているから大丈夫だろう
この団体がやっていることだから間違いない
こういった考えはすごく楽です。
だけど、ものすごく危険です。
そしてだいたいが、盲目的な信者になるために誘導されています
○○学校の○○ボランティア
動物病院の・・・
獣医師の・・・
NPOの・・・
住職の・・・
タレントの・・・
これらは属性的に「変なことしなそう」という何の根拠もないイメージをつけて
ボランティア自体をあまり見なくても人が簡単に信頼してしまいがちなある種、誘導的な言葉です
しかも権威性もあるので、うかつに間違ってそうだと思ってもあまり言えない状況にもなるはずです。
また、話慣れていたり、それっぽい知識もあるのでまぁ普通は間違っていても打ち返されます。
逆に
ペットショップの・・・
ブリーダーの・・・
元受刑者の・・・
悪徳政治家の・・・
だとどうですか?
ホントに素晴らしいボランティアをしていても色眼鏡なしで見れますか?
これらは何の根拠もない錯覚です。
本来は「・・・の○○ボランティア」と、聞いてもいいか悪いかは「判断がつかない」が正しいと私は思います。
ここまで聞いてみて皆さんはどう考えますか?
JAS認証も本質的にはここの問題にぶつかると私は思います。
権威性と言うのはどこか参考程度に大きくは安心や信頼ができる(一定の基準があることが多い)けど盲目的に信じていいかどうかは
結局のところ中身次第ということ・・・