こんにちは、世話人のsayaです。
実家のまる「25歳」ありがとう
実家の御年25歳のまるちゃん、永眠いたしました。
大大大往生です。すごかった、本当に長い猫生がんばりました。
私が成人前からの家族だったのでもう居ないという現実が嘘のようです・・・ものすごく寂しくて、今もまだ父と居るような気がします。
でも父はもっともっと寂しいと思います・・・
これから先、こんなに長生きな猫さんと出会えるのかわかりません。
たくさんの可愛いをずっと見させてもらえてすごく光栄でした。
私は1人暮らしや結婚で家を出たので、ずっと一緒に生活していたわけではなかったけど、やっぱりかけがえのない大事な大事な家族。
ずっと母が可愛がっていたのですが、そんな母も13年前に病気で他界。
それからはずっと父とふたり暮らしだったまるちゃん。
急に1人になってしまった父の寂しさや悲しさを側で支えてくれていたと思います。父も本当に大切に細かくまめにお世話をしていました。
まるが23歳の時に書いたブログ
病気との戦い
まるはシニア期になってから肥満細胞腫という皮膚の癌を患っていました。年齢もあって幸いなのか進行も遅く、吐くことはしょっちゅうでしたが上手く付き合って過ごしていました。ただ、その時に背中にできた細胞腫を切除する手術をしています。それはそれはものすごく大きな傷口で…(広範囲で取り除かないといけないものらしく)術後は見ているのも辛いくらいでした。
そこからも無事に復活し通常通り生活していましたが、20歳のときに次は片足に細胞腫が出来、出血や膿んだりを繰り返していました。
病院から伝えられたのは一か八かの選択で、片足を切除してスッキリするか。ただもう高齢なので命の保障はできない…と。
でもこのまま足を引きずった生活だと壊死してそのまま命も…というお話でした。
父の決断は足の断足でした。「黙って見過ごすことはできない」からって。
かなり悩んだと思います。
でもその選択がよかった、術後はとても快適そうで食欲も増えシニアとは思えないくらいよく食べてよく寝て、私がたまに実家へ行くとすごく快適そうに過ごしていました。きっとまる自身も足が痛かったり辛かったのを我慢していたんだと思います。
猫ってすごく適応力があって、どこかにハンディがあっても上手に生活できるんですよね。人間だったら絶望したりウジウジしてしまうのに、とにかく前を向いて生きている。
必死に懸命にその時その時を生きるしかない。見習わないといけませんね。
そこから今に至るまでは3本足のお婆ちゃんとして生活していました。細胞腫も体のあちこちにポツポツありましたが、もう手術はしないことにし ここからは自然に任せる形としていました。
よく長生きの秘訣は?と聞かれますが、やはりノンストレスが1番だったのではと感じます。
父もすごく大事にはしていましたが構いすぎず触りすぎず、まるのことはいい距離感でいい意味で自由奔放にしていたような気がします。ハイシニア(20歳前後)になってからはとくにキャットフードや療法食には拘らず、食べれる時に食べれるものを好きなだけ…という感じで。(これは真似せずに必ず獣医師さんに相談してください)
ここ1~2年は父がせっせと刺身やうなぎ、お惣菜などを買ってきて、それも国産や天然物じゃないと口をつけないという我儘ぶりで。猫ってすごい・・・笑
金がいくらあっても足りん!とボヤいてましたが、本当にまめに親身に介護していたなと感じます。あとはシュークリームの中のカスタードをちょっと舐めたりとか。
ずいぶん頭を抱えていましたが、なにか食べれるものを…とあちこち買い物に出かけていたことも、私からすると父の原動力になっていたのかなと感じます。
決断は急に来る
ここ最近は食欲もガクンと減り、そろそろかな・・・と話していたんです。
だんだん動けなくなって食べれなくなって・・・いよいよだと何度も父から電話が入ります。何かできることないかな?と。
私もできる範囲のことを話したり、でもこのまま無理させずに自然に・・・と。
病院で補液だけでもしてもらおうかと頭を悩ませるけど、車に揺られること自体も負担じゃないか?などなど。
ちょうど子猫たちの診察もあったので、ついでに先生(いつもの病院)にも相談したりしていました。
先生も「お父さんが望むことをするのみだね」と言います。父が後悔のないようにしてほしい、私もそう思っていました。
そんな感じの2日後にまるは父の横で静かに息を引き取りました。「まるの手をずっと握っていたんや」と。
とても辛くて寂しいけど、しっかり側にいてあげれてよかったなと思いました。
もちろんまるが亡くなったことはすごく悲しいのですが、それを看取った父の気持ち、母が残していった愛猫への想いなど色々含めて泣けてきてしまいます。
きっとまるは独りになってしまった父が心配でずっと側にいて長生きしてくれたんじゃないのかなと感じます。親戚たちもみんな口を揃えてそう言ってる。
翌日いつもお世話になっている葬儀社さんでしっかり家族で見送らせていただきました。
斎場長さんもはじめてこんなに長生き猫に会った!と驚いていて、父にご長寿の秘訣は?表彰されたときの話や、まるのことを色々と尋ねていました。
でもそれって父への気遣いや、そういった経緯や思い出を人に話すことが本当に大事なことで・・・それをわかっていらっしゃってたくさん話を聞いてくれていたんだろうなと感じます。さすがプロだな…
父もまるの話をしている時は終始楽しそうで、私も一緒に頷いていました。家族以外の人にも聞いてもらえてよかったなと感じます。きっとお忙しかった中、感謝ですね。
私たちには落ち込んだ姿は見せませんが、かなり寂しいと思う。
家に居てもすることもないし、介護もたった数日前まで大変だったのに…急に生活に変化があると私としてもすごく心配。
先日も実家を訪ねたら、部屋がガランとしていました。粗相もあるから部屋や廊下にもペットシーツやあちこちにブランケット・タオルが敷かれていたので…。
でも父もかなり睡眠不足だったようなのでしばらくはゆっくりしてほしいです。
嬉しそうにまるの写真をプリントしてきたり、お参りに行ったりしてるみたい。
もう少し気持ちが落ち着いたら一緒にボランティアしてもらおうかな。もう猫はこりごりだ!って言われるかもしれないけど(苦笑)
すっかり文章が長くなってしまいました。長生きだった分、私もまると父への想いが長くなってしまうな・・・
私たち家族の様子をずっと近くで見守っていてくれたまる、本当に感謝でいっぱい。
最高な猫と出会えました!長い猫生おつかれさま、ありがとう!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
パパの独り言
よく高齢の猫飼いはNGという団体を見ますが・・・正しいのでしょうか?!
65歳以上は・・・
人の一生は平均値だけでは語れません
本質的には、「残される猫のことを考える」という意味だと思うんです。(でもそこが一番置き去りになる。)
だからそれ以外にも、そういった団体は、「単身者はNG」とか「カップルはNG」みたいなことも言います。
私もこれまでいろいろな人を見てきましたし、経験則的にはそういった心配をしたくなる場面も多かったのも事実。
しかし、家庭があっても、ある程度若くても、「残される猫のことを考える」が本質であれば、安易な家族探しはNGなはずです。
人は良く属性で考えます(私はそういう考えは好きではない)
高齢者・カップル・単身者・ペットショップ・ブリーダー・・・
でも、大事なのは1つ1つ(一人一人)を見るコトだと私は思います。
どんなに家庭があって、若くて、お金を持っていても「ずれてる人」「会話が成立しない人」だとお断りします。
逆に、単身者でも高齢者でも、その周りのサポートがしっかりしていて、いろいろと考えている人には猫たちの家族になってほしいと思います。
属性でくくってしまうと、見えるものも見えなくなり、見えないモノは気配すら感じられなくなります。
それで本当に、「私たちの団体は、しっかり見て誰にでも渡していません!」と言えるのでしょうか?!
ある程度の基準やルールは大事、でもそこから外れても、それを補って余る内容(想いと行動)であれば私はいいんじゃないの?と思うわけです。
みなさんはどうですか?!
・・・
話が長くなりましたが本題です。
うちの猫たちもまるくらい生きてほしいと思いますしそのためには今の常識はリセットし続けないといけないだろうなとも思います。
ホントにネコって不思議なんです
男は弱いもので、奥さんが無くなるとだいたい後を追うように・・・と言います🐻
まるも母が無くなり残された父がそうならないように頑張ったのかなぁと
普通に考えたら、年齢的にもだけど、病気や断脚いろいろなモノを持ったままの25歳
・・・スゴイの一言。
病気や断脚もなるべくしてなったのかと思うくらいです
お世話も大変だったはず
食事だけでも大変だし、こまめなトイレ掃除や、足に負担がかからないような部屋づくり・・・
お世話が大変だったからよかったのかなと関係性をみても思います。
僕たちは亡くなる1日2日前くらいに会いに行ったんだけど、目の周りとか足回り胴回りがすごく汚れていて・・・(白黒だったから白い部分が特に)
キレイにしてあげたくても、ほんとにちょっとでも動かすとそれがきっかけになるかもしれないくらいの虫の息で軽く拭く程度しかできない。そんな状態でした。
でも不思議と瀕死なんだけど穏やかな雰囲気だったんです👨
亡くなって、葬儀場で対面した時に、めちゃめちゃキレイになってたんですよね
聞いたら、シャンプー買ってきて、ずっときれいにしてあげたかったけどできなかったから最後、きれいにしたんだって。
まぁその事象だけをみてあんに当たり前だという人もいるかもしれないけど、他のことも含めて、一人になって、まるに向き合いながら、変化していく父を見てきたから、「まぁそうだよな」と思いました。
何を言うわけでも何を主張するわけでもないけど、私は、「言葉よりも」真摯に向きあう姿は、見てるモノの行動を変える力があると感じました。
みなさんはどうですか?