YouTube・Instagramは毎日更新。ブログは不定期更新。
初めての猫の保護・預かりをした時の話
こんにちは、世話人のsayaです。
この写真の子猫さんは、私が初めて保護・預かりをした子なんです。
今回ものすごく画像が悪い写真ばかり…
というのも、私が成人式を終えたばかりのホヤホヤ20代だったころのお話(笑)
一応当時は最先端だった携帯カメラ(ガラケー)で撮影したものなのです。
当時はまだデザイナー見習いでバイトとして修行中だった頃。
とある地方誌を発刊している制作会社でした。
そこの屋根裏で、野良猫ちゃんが出産してしまいました。
たぶん数匹産んでいたかと思います。
しかし社長がなかなかシビアな昔気質の性格で…
お察しの通り、猫は害獣、子猫なんてもってのほか!とお怒りです。
この当時は愛護センターはもちろん愛護団体なんてものも田舎にはなく
まだまだ野良猫もたくさん居ました。というか当たり前でした。
保健所での殺処分も普通に行なっていた時代です。
愛護意識のある人なんて今ほど居なかったと思います。
しばらくは屋根裏で子猫を育てていた様子でしたが、やはり追い出されてしまいました…。
しかし1匹は居着いてしまった模様(写真の三毛猫っぽい子です)
その子は会社で発刊している地方雑誌に「里親募集」として載せよう!と会社の営業部長が提案してくれました。
部長はたぶん動物とかそんなに好きじゃなかったと思うんですが、今思うとなかなか粋な事してくれますよね。
そしてその子は無事に読者さんからお声がかかり、里親が決まりました。
と一旦は安堵していたのですが、もう1匹現れて…
会社付近を彷徨っていたのでしょう。まだ生後1~2ヶ月くらいです。
社長の目もあって、会社に置いておけないから人目のつくところへ逃がそうという事になりそうでした。
ですが、まだ子猫じゃん!!!と思い
「連れて帰ります!」と口が先に出てしまい・・・
内心は どうしよおおおおお!とパニック。
私もまだまだ未熟で、猫の知識も保護経験なんてほぼなし。
むしろ社会経験すらもないくらいです。
でもきっとあのままだと死んでしまうな。一生後悔するなと…
とりあずは仕事を終えて家に連れて帰りました。
父・母・婆ちゃんは「わ~!!!かわいい!こりゃ放っとけんわ~」と。
まずは良かった!受け入れてもらえたと一安心。
家族からの条件は「爺ちゃんには内緒であんたの部屋で育てなさい」
「そして早急に里親を見つけなさい」となりました。
問題は猫嫌いな爺ちゃんです。
すでに先住猫が1匹いましたが、それも何とかお迎えできた子。
爺ちゃんは大反対で、何か問題起こしたら捨てに行く!の頑固じじい。
※大正生まれで戦争も経験してる世代なので…失言お許しください
なんとか自分の部屋で子猫との生活が始まりました。
日中会社へ行ってる時には、親と交代でお世話。
父には部屋に入って欲しくなかったお年頃でしたが(笑)
その時は猫のために許可しました。
まぁ~、しかし夜は寝ないで暴れ放題!
姿を消して脱走した!?と家中探しまわったら、バッグの中で爆睡してたり… おもらしも多発。
食事はもう自分でできる月齢だったので良かったです。
とまぁ、てんやわんやで寝不足な1ヶ月ほどを経験しました。
半分は親が面倒を見てくれて「遊びに出るな!自分でも世話しろー!」
と叱られたことも多々(笑)
今思うと実家サイコーだわ。
SNSもない時代だったので、なんとか知り合いづてで里親さんを必死に探しました。それが一番大変でした。
口づてだけで猫を飼いませんか?と会う人会う人に声を掛けてた…
インターネットがどれほど便利か、そしてSNSって凄いですよね。
今じゃInstagramで声かけができて(もちろん慎重に厳選にです)里親さんと繋がれて…。
なっかなか見つかりませんでしたが、飼いたい!と知り合いの妹さんの職場の方が里親さんになってくれました!
めちゃくちゃ遠い関係(笑)
まだまだ子猫でしたし、大きくなる前に決まってよかったなと。
この子にはとっても貴重な経験をさせてもらえました。
そしてお迎えしてもらいバイバイした後、やっぱり寂しくって。
車に乗ってワンワン泣きました~
今はそんなことはないですが(もう大人だし)やっぱり初めての譲渡の時は泣きましたね。
もちろん今も卒業日は寂しさもありますが、そうは言ってられないし情が沸きすぎないようにコントロールできているのかもしれません。
泣きじゃくったのは、その当時のが最初で最期です。
よく「寂しくないの?」「よくあっさり手放せるね!」と言われることもあります。
でも、私の役目は笑顔で送り出すことなので。
しかし元々 薄情なのかも~…
私の性格は、預かりボランティアに向いているのかもですね(笑)
という、思い出話にお付き合いありがとうございました。
みんな どんな子もかわいいな!